石田先生を思う
さて、本日風邪の症状が悪化したので病院に行ったものの、かかりつけ医が不在だったために「
石田秀夫」医師に診察していただいたわけだが、そこで思ったことを記しておこう。
まず、散々待たされた挙げ句に診察室に通された私に石田秀夫医師が真っ先にかけた言葉とは「お待たせしました」でも「今日はどういったことで?」でもなく、「症状は?」だった。
そこで「先週、これこのような診察を受けた」と説明しかかると、それを遮り、かぶせるように、そして苛立ちながら「ショ・ウ・ジョ・ウ!!」と促されたので、症状を話すが、この間にまったく視線がこちらを向かない。
血圧、聴診器、喉を奥を覗き、アレルギーはあるかと聞かれる。しかし、こちらは見ない。ありません、と答えと、薬の辞典のようなものをペラペラとめくり始め、「じゃあ、お薬お出ししておきますので、廊下でお待ちください」と看護師に言われる。石田秀夫医師は「お大事に」も何も言わず、結局視線も合わずじまいだった。こちらは石田秀夫医師を観察出来たが、向こうはこちらを見てなどいないだろうと思う。
「あなたは人間じゃなくて、病気しか見ていない」などというセリフが、医療ドラマやマンガなどを見ていていると出てくることがあるが、もう既にそんなレベルにはない。つまり「症状」なのだ。しかも、医者が自分で見つけ出すのではない。自己申告なのである。そして、自己申告の症状に基づいて、その症状を打ち消す薬を処方する。これならチャート図にしておくなり、プログラムを組むなりしておけば、医者にかからずとも自分で診察出来るなとも思う。
「たけしのほんとは怖い家庭の医学」とか、ウッチャンナンチャンの特番とか、医療エンターテイメント番組が花盛りだが、これではそれもしようがないと思わざるを得ない。何故なら、医者は病気を見つけてくれないのだ。自己申告の症状に対して処方するだけなのだ。
つまり、
頭が痛いんです。→頭痛薬
咳が止まらなくて。→鎮咳薬
痰が絡むんですが。→去痰薬
胃が痛いんですが。→胃腸薬。
いや、不安で胃が痛いんですけど。→抗不安薬
ということなのだ。
診察が終了しようとするので、「肺炎の可能性はありませんか?」と訊ねた。症状を訴える際に「胸の奥の方から咳が出て、胸全体が響いて痛い」と訴えていたからである。石田秀夫医師は無論こちらをちらりとも見ずに「不安ならレントゲンとりますか?」と聞き返す。プロフェッショナルなのは、こちらかそれともむこうか、それすら疑わしい。「肺炎の不安があるので、レントゲン撮らせて下さい」などというセリフはもう医者からは出てこない。責任を取りたくないからだ。だから患者側に判断を丸投げするのだ。
そもそもこちらは自分が現在どういう状態にあるのか説明されていない。症状を訴えて、それに対する薬を出されただけだ。患者としては、これらの「症状」の総体としての「病状」というものを知りたいのだ。自分の体がいま何と戦っているのかを知りたい。それを説明してくれるものとして医者にかかるのだが、もうそうした考えは虚構の中にしか存在しないらしい。
今日の教訓。医者が診るのは人間でもなく、病気ですらなく、ただ症状である。
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